社伝記に残る伝承
金王桜の伝承
社伝記によれば、文治5年(1189)に源頼朝がこの地を訪れ、金王丸の忠節を偲んで鎌倉から桜を移植し、「金王桜」と名付けたとされています。
赤門には、32年離れた二つの年代が残されています。現地へ移動し、実物を見ながらその理由を確かめます。
赤門の歴史を現地で確かめる立つ場所と見る方向からご案内します01FACILITY MAP
お手洗い、社務所、駐車場など、参拝中に必要になる場所をまとめています。
静かな境内です。音声はイヤホンでお楽しみください。歩きながらの画面操作にはご注意ください。
寛治6年(1092)に鎮座。渋谷氏は当宮を氏族の鎮守として崇敬し、周辺に館を構えたと伝えられています。
公式由緒に記載された主な出来事を、年代順に掲載しています。
源義家が、基家の拝持していた月旗をもって八幡宮を勧請。渋谷氏は氏族の鎮守として崇敬しました。
渋谷平三重家の子として8月15日に誕生。のちに金王丸の名声から、金王八幡宮と称されるようになります。
高輪原の戦いに伴い、北条軍の別動隊によって渋谷氏の館が焼失。境内には城砦の石が保存されています。
青山忠俊と春日局が社殿を造営。江戸時代初期の権現造りと彫刻を現在に伝えています。
神門には文書に残る明和6年と、額裏に刻まれた享和元年の二つの年代が伝わっています。
太白堂門人の山奴社中が句碑を建立。この地で芭蕉が詠んだ記録は確認されていないとされています。
社伝記に残る伝承
社伝記によれば、文治5年(1189)に源頼朝がこの地を訪れ、金王丸の忠節を偲んで鎌倉から桜を移植し、「金王桜」と名付けたとされています。
史料で確認できる出来事と、社伝記に残る伝承を分けて表示しています。出典:金王八幡宮公式「金王八幡宮について」・公式「ご利益」